日々是瑠璃瑠璃

瑠璃甫です。2018.05より俳句生活はじめました。備忘録です。

流燈やゆつくり胸を離れゆき

流燈 初秋

流燈やゆつくり胸を離れゆき

 角川俳句令和俳壇1月号 星野高士先生、対馬康子先生 佳作入選句

 

1月号は2句、複数の先生より選を受けました。憧れの星野ファミリーに入れてもらい(間違いなく入れてもらってないぞ)、憧れの対馬先生の目に留まったと思っただけで、感激です。俳句を始めてNHK俳句に投句したとき、星野先生が選者でしたが、半年全然拾ってもらえなかったので、感激です。星野先生、対馬先生、ありがとうございました。

 

実は某投句先でボツったのもを、あきらめきれずに少しリメイクした句。故人への想いをそっと燈籠にのせていく感じをどうしても詠みたかったのです。

うまく詠めたかな、ちょっと嬉しい。

この句が好き♡と言ってくださる方の何人かいて、嬉しい。「好き」とか「ありがとう」という言葉には、言った人も言われた人も幸せになるパワーが宿っていますね。

 

ということで、声を大にして、「ありがとうございました♡」

調律師半音さげて天高し

天高し 三秋

調律師半音さげて天高し

 角川俳句令和俳壇1月号 五十嵐秀彦先生、岩岡中正先生選 佳作入選句

 

初めて角川俳句の俳壇で複数選となりました。この上なく嬉しいです。

五十嵐先生、岩岡先生、ありがとうございました!

 

ピアノを再開したいなぁとここ数年思っています。2歳から12年近く習っていました。中学校が遠かったので、ピアノを泣く泣く諦めました。ピアノの先生になりたかったときもあったので、ちょっと寂しかった。

 

いつもきてくださっていた調律師の方はまだお元気だろうか?

 

いつまで元気に生きられるかわからへん、やっぱり今年は再開しよっと。

蒼海5号を振り返る

あっという間に今年もあと一週間。

思い返せば、蒼海定例句会に春に初参加(しかも初句会)してから、師の堀本裕樹先生や句友にめぐまれ、俳句を始めた当初からお会いしたかった神野紗希先生や、夏井いつき先生、坪内稔典先生、岸本尚毅先生、長嶋有先生、小川軽舟先生にもお会いできたしで、俳句に明け暮れた一年でした。シアワセ。稔典先生は、顔を覚えてくださり、ありがたいことです。

本業もおかげさまで非常に忙しく、勉強会もメンバーが増え、いろいろなセミナーも企画したりと、走り抜いた感じです。来年はきっと仕事が減ってきそうなので、ゆっくりと俳句に向かい合う時間が増えたらいいなと思っています。

 

そろそろ蒼海6号がやってくる~。そういえば蒼海5号を振り返っていなかった。

さささーと振り返ろう。

 

卒業や靴を磨いてくるる父

蒼海定例句会デビューにもっていった句。佳作に選ばれて、テンションあげあげのなかコーフン気味にバリバリの関西弁で句の説明をすると、師より「ええお父さんやねぇ~」と関西弁でコメントがかえってきた、想い出深い一句。

はい、父句デビューの日でもありました。

 

紙雛のおほどかなるやナース室

手術が終わり、退院に向けて廊下を歩いているときの句。受付に紙雛が飾ってあり、少し気持ちが解れたっけな。

 

土管より月が綺麗と木の芽風

組長ライブで特選一句目をいただいた句。なぜか最初っから組長と目があい、「あんたちゃんと仕事してるの?こんなところにきているけど」とか言われ、この句が私だとわかると「あなただったのぉー!」と。待ち合わせ場所を間違えて、道中に土管が見えたので、そういえば昔土管に入って暗くなるまでままごとをしていた記憶を思い出しての句。旦那さん役の子は今は某TV局のPだそうな。季語の取り合わせがいいと誉めてくださった組長の目がとても優しかった。組長の本当の心を見せてもらえた気がしました。

 

春の波とろり濡れゆくオールかな

ワンポのツイートをしている仕事仲間の写真よりヒントを得た句。昔、父とよくボートに乗ったことを想い出すなぁ、水にとろみを感じたのを詠んでみた。そういえば久しくボートとか乗ってないな。

 

つむぐ代の雨音澄むや五月来る

平成から令和に代わる夜、相変わらず仕事をしていたら、雨音が普段と違うように感じたのを詠んだ句。新しい代も戦争のない世の中でありますように。

 

藤棚へ透けゆく小さきそら数多

昔の実家の藤棚から見える水色の空が大好きでした。空をみていたら藤の花と藤棚と空のすべてが一体化していくような、そんなことを想い出しての句。父がだいたい横にいた。

 

さて蒼海6号はどうなっているのだろう。予想は5句で一歩後退。

ほくほくと豆の数ほど豆の飯

豆飯 初夏

ほくほくと豆の数ほど豆の飯

 角川俳句令和俳壇12月号 五十嵐秀彦先生選 秀逸入選句

 

ぶふぉー‼ ビックリしてしばらく動けませんでした。

なんということでしょう。

五十嵐秀彦先生は、初投句の時からよく拾ってくださります。とっても嬉しい。

五十嵐先生、ありがとうございました。

 

そしてこの号には、句友の檸檬さんが同じページに推薦トップで掲載されています。尊敬しかない!とってもかっこいいお句で、私には絶対詠めないし発想すらできないお句。心よりおめでとうございます♡これからの檸檬さんのご活躍がますます楽しみです。

 

ちょっと時期が違っておりますが、某投句先に投句したのをあきらめきれず、

少し推敲してダメ元でチャレンジしました。

最近は、父句だけではなく、こういった、ちょっとクスッとなるような、ちょっと微笑んでしまいそうな句も詠みたい!と、密かにチャレンジして投句しています。私のなかでは「ほんわか句」とカテゴライズしております。大概はスルーで撃沈するのですが、五十嵐先生より秀逸をいただけたことで、この方向性も頑張ってみようと思えました。

ちなみに、豆ごはんは、大人になってから好きになりました。ホクホクと食べて、気持ちもホクホクとなるのを詠んでみました(これが松茸ごはんならそうはいかないのだ…)

 

某ラジオで、下の「ほんわか句」が堀本先生による佳作に選ばれました。「とにかく面白いんですよ」との選評、関西人として最高の誉め言葉です。ありがとうございました。もっと「ほんわか句」を詠めるよう、幅広く生活に沿った句を詠めるようになりたいです。

 

まる顔にまるく添ひたるマスクかな (季語:マスク:冬)

 

硯洗ふそつと撫でゐる筆の先

硯洗 初秋

硯洗ふそつと撫でゐる筆の先

俳句界12月号俳句トーナメント

佐久間慧子先生佳作入選句

 

2019年12月号で終わってしまう俳句トーナメントですが、

最後の最後に佐久間慧子先生の選を受けることができました。全選者の先生より選を受けれてとっても嬉しいです。佐久間先生、ありがとうございました。

 

書道を長年やっております(休み休みですが)。書に向かうときの緊張感も好きです。

上手く字が書けますように、というよりは、納得のいく字が書けますようにとの気持ちを込めて筆先に触れたのを詠んでみました。

 

最近はペン習字しかできていない(しかも今はお休みしている)ので、来年は久々に毛筆を再開しようかな。

 

 

半開きの愛染堂や虫の闇

 虫の闇 三秋

半開きの愛染堂や虫の闇

俳句界12月号俳句トーナメント

堀本裕樹先生、五島高資先生選 佳作入選句

 

12月号で終了してしまう、俳句トーナメント。淋しい。

思えば俳句界に初投句したのが、今年2019年3月号掲載分から。2か月間鳴かず飛ばずでしたが、初掲載がトーナメント優勝、それ以降、ベスト8に残ったり、佳作にかろうじて入選したりと、とても楽しみに参戦することができました。

俳句を頑張るモチベーションになっていたコーナーでした。

本当にありがとうございました。

 

上掲の句は、実景の句です。愛染さんの扉がなぜか半開きになっていたのを詠んだ句。

のぞくと真っ暗闇で、虫の声だけが妙に耳に入り、闇が深くなっていったような感じを詠んだつもりです。

檸檬さんより「季語がぴったり」とコメントいただいて嬉しかったです。

 

ちなみに愛染明王は、煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)を表しているとされていて、この煩悩即菩提は、「大乗仏教の概念の一つで、悟り(菩提)とそれを妨げる迷い(煩悩)とは、ともに人間の本性の働きであり、煩悩がやがては悟りの縁となることである」らしです。

 

いつか俳句トーナメントのコーナーが復活するのを切に切に祈っています。

うたた寝の父の頬拭き獺祭忌

 獺祭忌 秋

うたた寝の父の頬拭き獺祭忌

 角川俳句令和俳壇11月号 岩岡中正先生選 佳作入選句

 

10月号は投句をお休みしていました(仕事がとんでもないことになっていた)。

投句していない号は、たとえ選を受けなくても楽しくないので、毎月頑張って投句しようと思います。

ビギナーズラックは地味に続いております。岩岡中正先生、ありがとうございました!

 

季語は「獺祭忌」。正岡子規の忌日。9月19日です。いつか「獺祭忌」や「糸瓜忌」で詠んでみたいと思っていました。選をうけてとても嬉しいです。

 

父の看病句です。重陽の日に緊急入院し、そのまま、帰宅することなく逝ってしまいました。鎮痛剤をうってもらうと、痛みから少し解放されたのか、うたた寝をしていた父。温かい蒸しタオルでよく顔を拭いてあげましたが、終末が近づくと、頬が骨ばっているので、拭くと私の涙があふれてきます。涙を我慢できる自信がなかったので、うたた寝をしてくれている間に拭いたのを詠んだ句。

「よく娘が顔を拭いてくれる!」と父はお見舞いに来てくれた自分の友人達に自慢していました。友人は皆さん別れを言いにきたのを知らなかった父。廊下で泣いていた父の友人達の背中も今も忘れることはできません。

父は最後まで自分の病気をしらないまま、この世を去りました。病名を告げたほうがよいのかどうか、が話題になる時代でした。家族で「お父さんはきっと耐えられないよ」と話し合った結果だったのですが、告げた方がよかったのかどうか、今も自問自答しています。

 

今を精一杯生きるんだ!